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「料理は社会分業にのるか」


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 「社長のブログ」と称する本欄に長い間寄稿できませず残念に思っておりました。

 久々の復活にあたり、本稿では我が社の事業目的である「料理を社会分業にする」との一大テーマにつき少し考えてみたいと思います。
 思えば、私が26歳の5月、怖いもの知らずの青年で、大手スーパーへ売り込みに行ったとき、商品部の窓口で会った同年代の若手バイヤーから「私には余り意味が解らないのですが、我が社の幹部から『料理を商品にする』という考えの理解できる人を探せと言われている。」という話を聞いたのです。

 当時は、ヤマザキは煮豆を製造しており、何とか煮豆を売ってもらえないかと御願いに行ったのですが、この一言が、私の仕事人生を大きく変えることになったのです。『料理を商品にする』言い換えると「料理を社会分業にする」との理想は、必ず具現化できる。「その仕事は、私にやらせて欲しい。」とその場で御願いしました。

 そして、その後この社会変革に向けての、というと大きな話のように聞こえますが、今は亡き両親ともどもの過酷な肉体労働の日々がスタートしたのです。しかし、こうした困難の中、心の底に持ち続けた「この事業は百年を超える仕事に違いない。必ず社会に役立つ事業になる。」との確信がその後の36年間の私の人生を支えてきました。また、その信念がヤマザキグループの事業そのものを支えてきたと思っています。

 今から30年以上も前、我が社のある社員から「私たちの事業は、家庭の主婦を怠け者にする事業じゃないか。」という批判がありました。当時はまだ社会全体が女は家にいて家族のために毎日三度、三度ご飯を作り続けるものだという昔風の考えが残っており、男女にかかわり無く社会に出て仕事を持つことが、本来の形だとは考えにくいような風潮にあったのです。

 今、核家族の進展はとうに昔の話、女性の社会進出、更に高齢化、単身化が進み、誰が誰のために料理するのか。または、家族という単位が一人とか二人とかになるといよいよ料理という最低の単位を割り込むようになる。中には、一人暮らしのお年寄りは自分で料理する体力すらも無い。もはや、主婦が忍耐で家庭料理を支えるかどうかというかつての価値基準から、家族という構成が大きく変化する中で、社会全体で支える仕組みづくりを急がなければならない社会構造となってきたのです。

 こうした社会背景を考えると、私たちの事業はスピードを上げる必要がある。おいしくて、安全性が高くて、安くて、無駄が無い。そのような新しい豊かさを急いで提案していかなければならない。多様で健康的なメニューで皆様の健康を支えられるような仕組みづくりを急いで実現しなければならないと切実に考えているのです。