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中国雑感


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 2月26日、江蘇省徐州市の片田舎での4日の滞在の後、福州に移動。寒々とした北国の灰色がかった風景から、常緑樹繁る緑の風景の中にいます。雨の後の晴天で大気汚染もそれほどひどくなく、気温は20度以上あり南国の解放感を感じています。

 筍の仕事でここに来たのですが、2010年から始まった賃金高騰により筍を掘ってくれる農民は減少の一途で、これから収穫のシーズンを迎えるに当たり原料価格は一体いくらになるのか。筍缶詰の量産を仕事にしてきた現地の業者さんたちの心境は、期待感というより不安感と表現したほうが良いように思います。

 思い起こすに、1971年筆者は、20歳の学生でした。必死でため込んだアルバイトのお金もすべてつぎ込んで、夏休みにインドへ旅行、その旅の途中にニクソン宣言という日本中がひっくり返るような事件が起こったのです。そのとき山崎青年の所持していたアメリカドルは、1ドル360円で両替した貴重なお金。旅行途中、ニクソン宣言の事実も知らないまま、日々インドルピーとの交換レートが下がっていく状況にぼんやりとした不安感がわいてきました。1971年8月20日カルカッタに戻った青年は現地の英字新聞から、アメリカドル兌換停止の事実を知ることになるのです。

 それまで自由主義経済圏の基軸通貨である米ドルが金との兌換を裏付けに固定的通貨交換率により輸出産業を中心に繁栄に沸いていた日本経済。年間10パーセントを超える賃上げ率が続き、大卒初任給が1万円から一気に10万円になった日本。その、初任給が5万円程度まで来たあたりでこの事件が起こったのです。この日から、お金は絶対的価値の基準ではなく、各々の通貨間の売り買いの需給バランスによって決定されるという全く別次元の世界に突き進んでいくことになるのです。

 この出張の途上、人件費高騰に苦しむ経営者のボヤキを聞いているうちにこんな若き日の事件を思い出しました。