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創業125周年記念 ヤマザキの歴史【第五章 おかず豆の大ヒット】


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 営業で煮豆を売りまわっていた親戚の重雄ちゃんが会社を辞めた。しばらくして自分で卸売の仕事を始めたので、母は何とかうちの製品を売ってくれないかと頼みに行った。そしたら「奥さん、今こんな製品がミニヒットしているよ。」これがヤマザキの最大のヒット商品おかず豆のきっかけである。これは、当時余っていたインゲン豆の一種「前川金時」を加圧釜で茹でて、しょうゆ味で仕上げたものでBRIX32度位の低糖度に醤油味がするという商品で、山梨県を中心に大ヒットした。祖母「きん」が亡くなった翌年のことだ。

 その翌年、東京オリンピック。作っても作っても間に合わないくらいよく売れた。毎日2トン~3トン、一斗炊き(製品で35キロ位)の籠を使って手作業で炊くのだからたまらない、夕方にはくたくたになる。全販売の7割方がおかず豆だったと思う。2年、3年して販路が固定してくると、何と不思議なことに、創業の人「兼吉」が天秤棒で商いに向かった、鰍沢周辺で一番消費が多かったのです。その頃父愛太郎から、「商いは長く続けるもの、思いもその場所にこもってくる」と言われたのを記憶している。

 このヒットで、山梨に特有の販路を残すことが出来た。そしてこのヒットの残り香は、私が大学卒業頃まで続いていたと思う。この後、高校生の頃に、父の夢だった煮豆の真空包装500gシリーズがヒットする。思えば昔は、大量に煮豆を食べたと思う。一袋500g おかず豆、金時豆、うぐいす豆、三色豆、ついにコンベア式の殺菌ラインを工場に導入する。この頃、今は倒産してしまった内田食品の昆布豆も500g包装で大ヒットしている。このヒットで煮豆屋としてすっかり自信をつけ、末端にそのマークを浸透させるべきと考えた愛太郎は、社名を株式会社ヤマザキと改め、小包装商品でのマーケティングを中心に展開しようと決断する。


・・・次章へつづく。